活動報告 - 最新エントリー
◆句会は原則として毎月第二土曜日の午後1時から3時40分まで、主として久我山会館・高井戸地域区民センター等で開催しております。(出席者は10名程度)一度ふらっと覗いてみて下さい。その上で、ぜひ仲間になって下さい。
句会が終わると駅前の蕎麦屋でちょこっとやったりもします。
◆毎回、その月の作品を紹介いたします。俵木陶光選。
・1月の作品の紹介
・1月の兼題は、「去年今年」・当季雑詠で計3句です。
浦田 久
・快晴の天空仰ぎ初詣
岡村 一道
・初写真胴長短足縄文人
片山 朝陽
・柴犬のコマーシャル真似初笑ひ
五井 夢
・昨年(こぞ)に捨て今年ぞろめやババめくり
俵木 陶光
・水仙や波のきらめく城ケ島
中邑 雅子
・干支の字の太々とあり凧あがる
堀 秀堂
・休みなく救急センター去年今年
峯岸 まこと
・一湾を隔て岬に初日かな
芳村 翡翠
・歳時記を閉じて目を瞑ぶ去年今年」
小林 美絵子
・さようならころんでおきて去年今年
坂井 百合子
・帯借りに母を訪ねし去年今年
山下 天真
・外国語飛び交ふ浅草去年今年
村林 小枝子
・去年今年鐘は遠くの闇に消へ
安西 円覚
・駅の長きエスカレーター去年今年
◆<私の一句>
「箱根駅伝朝日の中へ疾走す」 俵木 陶光
十月の予選会から勝ち上がった中大の箱根駅伝第一走者はさっそうとした鉢巻姿で胸に赤いCの字が眩しかった。久々にカメラにとらえられたからである。今年はいいかなと思ったがやはり実力通り往路は20チーム中16位であった。翌日は一斉スタートから始まって更に繰上スタート。当然来年も予選会を待たねばならない。
<箱根駅伝無念残念無念なり 陶光>
近衛文麿氏の次男通隆氏の奥方節子さんの句集『糸ざくら』の中に「箱根駅伝見ていて炬燵ぬけられず」という句がある。
戦前3度も総理大臣となった公爵近衛文麿氏の私邸「荻外荘(てきがいそう)」が昭和12年より角川詩歌館の近くにあり、多くの政治家等の集まるところとなっていた。ところが昭和20年敗戦となり、マッカーサーから巣鴨プリズンへの出頭が命ぜられるや、天皇に類が及ぶことを恐れ、服毒自殺を遂げた。
『われ巣鴨に出頭せずー近衛文麿と天皇』(工藤美代子,H18)で著者はあと書でこう述べている。
「近衛は貴族の生れらしく誇りを捨てずに潔く全責任だけを負って、それが運命であるかのように天皇の御楯として命を絶った。近衛文麿という日本人がいたことを誇りに思う」と。
長男文隆氏は戦後ソ連に抑留され(昭和31年没)、次男通隆氏が節子夫人と住んでおられた。通隆氏も数年前亡くなられ、夫人は生まれ育った下町へ移られた。無人となった荻外荘は杉並区が歴史的建物として購入した。一昨年(H26.10)、節子さんを招いて荻外荘での思い出話を聞く会があった。偶然長岡帰山さんとも一しょだった。近衛家は元貴族の流れを汲む名家であるが、節子夫人は庶民感覚でざっくばらんの飾り気のない方で好感が持てた。俳句にもその感じが見てとれる。『糸ざくら』から数句紹介させて頂く。
・洒落気のなくなりし夫パリー祭 近衛節子
・とっくりのセーターを着て夫老いず 〃
・母の来て四温のうちに帰りゆく 〃
・女盛りを夏帯のしめつける 〃
・母看取るための往復法師蝉 〃
◆次回の定例句会は、2月13日(土)午後1時〜3時40分
於 高井戸区民センター
兼題は「日脚伸ぶ」・当季雑詠で計3句です。
◆句会についてのお問い合わせ先: 安西 光昭(円覚)まで
TEL 090−3145−2654
◆文責・俳句同好会会長 俵木 敏光(陶光)
謹賀新年
正月恒例の「箱根駅伝」が終了しました。
母校、中大は選手の努力むなしくシード権に力及ばず、
次回も予選会からのスタートと相成りました。
これまで多くの会員諸氏の皆様、
応援ご苦労様でした、有難うございました。
またこれまでと同様暖かく見守ってかつ応援していきたいと
思います。
また引き続き宜しくお願いいたします。
中大スポーツを応援する会 権守隆男
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正月恒例の「箱根駅伝」が終了しました。
母校、中大は選手の努力むなしくシード権に力及ばず、
次回も予選会からのスタートと相成りました。
これまで多くの会員諸氏の皆様、
応援ご苦労様でした、有難うございました。
またこれまでと同様暖かく見守ってかつ応援していきたいと
思います。
また引き続き宜しくお願いいたします。
中大スポーツを応援する会 権守隆男
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新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、
昨年12月24日に、
当支部「創立20周年記念誌」が出来上がりました。
(A4版96頁カラー)
ご協力いただいた各方面の皆様には、厚く
お礼申し上げます。
会員の皆様には、すでにお送りをさせて
いただきましたので、ご覧ください。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
20周年記念誌編纂委員会
委員長
大森悦朗
委 員
太田哲二、峯岸 誠、安西光昭、本田良夫、井原太一
写真協力
堀 秀夫
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◆句会は原則として毎月第二土曜日の午後1時から3時40分まで、主として久我山会館・高井戸地域区民センター等で開催しております。(出席者は10名程度)一度ふらっと覗いてみて下さい。その上で、ぜひ仲間になって下さい。
句会が終わると駅前の蕎麦屋でちょこっとやったりもします。
◆毎回、その月の作品を紹介いたします。俵木陶光選。
・12月の作品の紹介
・12月の兼題は、「短日・暮早し」・当季雑詠で計3句です。
安西 円覚
・枯草や髭剃りの刃を取り替へし
浦田 久
・短日や今宵の月の冴えわたり
岡村 一道
・ぐいと飲む精力剤や三の酉
片山 朝陽
・短日や喪服に白き髪二本
五井 夢
・短日や指から零る光粒子
俵木 陶光
・暮早し鳥を迎へし神の森
中邑 雅子
・焼き上がるパン屋の時刻暮早し
堀 秀堂
・短日の銀座点灯街一杯
峯岸 まこと
・かがり火に翁鈴振る三の酉
芳村 翡翠
・海鳴りのひびく坂道暮早し
小林 美絵子
・助手席に本とパン乗せ十二月
坂井 百合子
・追ひかけて来る咳に急(せ)く駅の道
山下 天真
・暮早し刹那の入日ビルの上
村林 小枝子
・長電話ようやく終り暮早し
◆<吟行記 荻窪八幡〜原っぱ公園〜観泉寺>
俵木 陶光
杉並会館に集合し、向いの荻窪八幡神社からスタートした。。
この神社は890年頃の創建で、前九年の役(えき)の際には源頼義がここに宿陣した。また応仁の乱が終わる頃太田道灌は石神井城の豊島泰経を討つべくこの神社に槇(まき)一株を供え戦に勝利した。その槇は今御神木として境内に立っている。参道には猫が畏って、参詣者に挨拶しているようであった。
・たかだかと伸びゆく槇や冬の雲 陶光
・境内を黄色に染めて銀杏散る 秀堂
・八幡の参道飾る落葉かな 天真
・千両の密と実をつけ八幡宮 一道
はす向いの警察署の道路側にはパトカーに因んでピーポーハウスと名札のある大きな鳥籠があって文鳥と背黄青インコが鳴いていた。
・婦人警官守衛に立つや散る黄葉 一道
消防署の先を折れた辺りで美絵子さんと合流した。まだ松葉杖が一本とれていなかった。
・松葉杖の美絵子さん待つ落葉道 陶光
・足裏に北風かよふ松葉杖 美絵子
・冬の日やコツンと響く松葉杖 〃
・銀杏落葉真っ赤な車包みけり 円覚
欅の冬木立が続くプロムナード並木を抜けると広々とした原っぱ公園に出る。
・解き放たれ園児走るや枯野原 円覚
・枯芝のはらっぱ公園子らの声 秀堂
この原っぱ公園やマンション群一帯は、昭和に入ると中島飛行機製作所の東京工場が建設され「ゼロ戦」のエンジン等を製作していた。現在この一角には「ロケット発祥の地」の記念碑も置かれている。
この広場の先には大きな荻窪病院があり中央大学杉並高校、観泉寺へと続いている。
今川義元は凡そ450年程前織田信長に討たれたが、その子が徳川家康に仕え、後、奥高家となり井草などを領することになった。家臣を八町(今の八丁など)の役宅に常駐させ田畑の開発に力を注いていた。それとともに観泉寺が菩提所となった。ここのしだれ桜は杉並百景の一つともなっている。
・「不許葷酒入山門」(くんしゅ山門に入るを許さず)紅葉散る 陶光
・観泉寺冬芽粒々牡丹園 〃
・観泉寺しだれ桜の葉も落ちて 小枝子
・思ひ切り黄葉を散らし冬を待つ 陶光
・常磐木に花のごとくや散紅葉 一道
・名も知らぬ黄花静かに冬の寺 〃
・十二月寺苑の工事急ピッチ 美絵子
観泉寺から程近いところに都立農芸高校があり厩舎には2頭の馬がいる。生徒とは顔なじみだがわれわれとは金網越しに初対面である。馬も「はて、この人達は何者?」と言っているようであった。
・馬小屋に人を見る馬冬の午後 天真
・街道に怪しき一団冬の雲 一道
帰途、クイーンズ伊勢丹に立ち寄り昼食を用意し句会場のプロムナード集会室に着いた。句会が終り暮も早まった会場を後に荻窪駅前の一軒に立ち寄り反省会となった。
◆次回の定例句会は、1月9日(土)午後1時〜3時40分
於 高井戸区民センター
兼題は「去年今年」・当季雑詠で計3句です。
◆句会についてのお問い合わせ先: 安西 光昭(円覚)まで
TEL 090−3145−2654
◆文責・俳句同好会会長 俵木 敏光(陶光)
新しく誕生する「居酒屋同好会」です。
近日中に発足式を予定しています。
参加人数には、ちょっと制限があるかもしれませんが、
末永くよろしくお願い申し上げます。
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近日中に発足式を予定しています。
参加人数には、ちょっと制限があるかもしれませんが、
末永くよろしくお願い申し上げます。
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