活動報告 - 俳句同好会カテゴリのエントリ
◆句会は原則として毎月第2土曜日の午後1時から3時40分まで、主として久我山会館・高井戸地域区民センター等で開催しております。(出席者は10名程度)一度ふらっと覗いてみて下さい。その上で、ぜひ仲間になって下さい。今回も新しい方の投句がありました。
句会が終わると駅前の蕎麦屋でちょこっとやったりもします。
◆毎回、その月の作品を紹介いたします。俵木陶光選。
・2月の作品の紹介
・2月の兼題は、「春を待つ」・当季雑詠で計3句です。
俵木 陶光
・校門に佇(たたず)む親も春を待つ
岡村 一道
・春近し雷門の車夫の声
芳村 翡翠
・箱根路の春待つ車窓明るくて
片山 朝陽
・バイカル湖の夢さめやらぬ浮寝鳥
安西 円覚
・凛の音かの世に消えて桜餅
峯岸 まこと
・弟(おと)逝けり澄みたる空や春隣
長岡 帰山
・待春や新横綱の土俵入り
中邑 雅子
・餅菓子の餡の冷たさ春浅し
小林 美絵子
・ラッパ手にはじめて触れし花菫
坂井 百合子
・やはらかき光のホーム春を待つ
五井 夢
・長雨に衣(きぬ)掻きあはせ蕗の薹
浦田 久
・いささかの運動八十路の春を待つ
堀 秀堂
・薦巻きて春待つ木々の兼六園
山下 天真
・剪定の春待つ枝を惜しみつつ
村林 小枝子
・木々の芽もあかぎれの手も春を待つ
寺崎 由岐子
・立春や巣立つ若者晴れ姿
◆<私の一句> 俵木 陶光
空襲を逃れし多摩湖春深し 陶光
昭和19年(1944)は第二次世界大戦(太平洋戦争)の末期でサイパン島の日本守備隊玉砕、神風特攻隊、学徒出陣があり、その翌年の昭和20年には東京大空襲、原爆投下、敗戦となったが多摩湖、狭山湖は無事。東京の水瓶は難を逃れることになった。その年の4月私はまだ戦時下の全寮制の中学に入学した。大岡昇平「武蔵野夫人」の多摩湖畔のホテルが新入生の寮であり、10名ずつの班に分かれ、一誠隊、富岳隊、御盾隊などと数字に因んだ名がつけられていた。私は無窮隊だった。夜窓から見ると都心が空襲で空が真っ赤な時もあった。空襲も激しくなり、東京の水瓶、多摩湖(村山貯水池)等を守ろうとして、しゃれた取水塔の模造品を竹で離れた所に編みはじめたようだ。しかし巨大な取水塔を作ることは不可能だったらしく放置されたままになっていた。
寮生活は朝起きると全員で布団の上に正座して明治天皇御製の歌を朗誦し、列をつくって山を降り、校舎に正座して「箸とらば・・・」と祈りを捧げ朝食をとり、授業に入った。まだ仮校舎風の大きな平屋の建物3クラスと教員室が4隅を占め中央部が色々な行事に使われていた。最近問題になっている森友学園のことがあり、当時のことを思い出した次第。当時は一億総戦時下であった。
大学を卒業後、暫く経って同人誌に参加し創作や俳句などを投稿し編集もしていた。ある時、年輩の同人で東京都の水道局に知り合いの人が便宜を図ってくれるからと春のピクニックが計画された。なんでもランチが出るということだった。どんなランチかなと楽しみであり、誰も昼食は用意して来なかった。が、ランチというのはlaunchのことで湖面を走る業務用の小型船のことであった。大笑いとなって友人と一しょに弁当を買いに走った。桜が満開であった。
この同人はマイペースの人で決して相手のペースに巻き込まれることはなかった。俳句の指導的な人であったが、あまりやかましいことは言わなかった。何でも学生時代、川端茅舎に傾倒し「舟底に傾きてあり秋の水」で激賞された由。岸に打ち上げられたボートの中に溜まった水と秋、なるほどと思った。
川端茅舎は画家川端龍子の異母弟である。
代表句として3句。
金剛の露ひとつぶや石の上 茅舎
ひらひらと月光降りぬ貝割菜 〃
朴散華即ちしれぬ行方かな 〃
◆次回の定例句会は、3月11日(土)午後1時〜3時40分
於 久我山会館
兼題は「木の芽(時)」・当季雑詠で計3句です。
◆句会についてのお問い合わせ先: 安西 光昭(円覚)まで
TEL 090-3145-2654
◆文責・俳句同好会会長 俵木 敏光(陶光)
◆句会は原則として毎月第2土曜日の午後1時から3時40分まで、主として久我山会館・高井戸地域区民センター等で開催しております。(出席者は10名程度)一度ふらっと覗いてみて下さい。その上で、ぜひ仲間になって下さい。今回も新しい方の投句がありました。
句会が終わると駅前の蕎麦屋でちょこっとやったりもします。
◆毎回、その月の作品を紹介いたします。俵木陶光選。
・1月の作品の紹介
・1月の兼題は、「雑煮・喰積」・当季雑詠で計3句です。
俵木 陶光
・予報士の顔引き締めて雪を追ふ
岡村 一道
・不意の客におせちの味見大晦日
芳村 翡翠
・一椀に海あり山あり餅もあり
片山 朝陽
・一椀の七種粥に野の息吹き
安西 円覚
・悲しい時は泣けばいいのさ霜柱
峯岸 まこと
・言問を渡り七福詣かな
長岡 帰山
・初暦壁に巻きぐせつきしまま
中邑 雅子
・故郷に続く空あり初山河
小林 美絵子
・はつそらの碧しふるさと東京は
坂井 百合子
・最後よと母の振る舞ふおせちかな
五井 夢
・遥かなる初不二幾十(いくそ)青海波
浦田 久
・冬将軍迎え討つ我重装備
堀 秀堂
・四代を重ねし味の雑煮かな
山下 天真
・小鳥来る雑煮の朝の小庭かな
村林 小枝子
・めでたさを呼ぶ小松菜の雑煮かな
関口 静安
・ふと覚めて深夜放送年の暮
寺崎 由岐子
・初詣にぎはふ人にまぎれけり
◆<私の一句>
木の葉髪怒髪天突く余生なり 芳村 翡翠
これは、「朝日俳壇」(平成29年1月16日)金子兜太選となった句です。
作者としてはリズムが調わない点であまり感心した句ではありませんが、選を受けたことでは喜んでおります。
上五の、「木の葉髪」は冬の抜け毛を落葉にたとえた冬の季語で、冬の季節とあいまって侘しさを感じます。
中七の、「怒髪天突く」は正しくは「怒髪天を衝く」であり、はげしい怒りのために逆立った頭髪の様をいうもので、昔、中国で謀反の企てを知った王の怒髪が、冠を突き上げるほどに逆立ったことに由来しています。
下五「余生なり」だけが小生のものです。そんなことで、深く考えて投句したわけでもなく、投句したことも忘れていましたが、発表をみて、驚きました。
俳句は自分独りで、作るものでなく、また、いったん出来上がった以上は、独り立ちして、読みてが、「そうだ、そうだ」と共感したときに、初めて完成するものだと思っています。。
作者と読み手との共同作業によるものです。。
ここのところは大事で、芭蕉の多くの句が、時代を超え、多くの人々に愛されているのも、多くの句が、多くの人々の心を捉えていることによるものだと思います。
ちょっと大袈裟かも知れませんが、これからも、そのような句をつくるように精進したいと思っています。
◆次回の定例句会は、2月11日(土)午後1時〜3時40分
於 高井戸地域区民センター
兼題は「春待つ」・当季雑詠で計3句です。
◆句会についてのお問い合わせ先: 安西 光昭(円覚)まで
TEL 090-3145-2654
◆文責・俳句同好会会長 俵木 敏光(陶光)
◆句会は原則として毎月第2土曜日の午後1時から3時40分まで、主として久我山会館・高井戸地域区民センター等で開催しております。(出席者は10名程度)一度ふらっと覗いてみて下さい。その上で、ぜひ仲間になって下さい。今回も新しい方の投句がありました。
句会が終わると駅前の蕎麦屋でちょこっとやったりもします。
◆毎回、その月の作品を紹介いたします。俵木陶光選。
・12月の作品の紹介
・12月の兼題は、「百合鷗・都鳥」・当季雑詠で計3句です。
俵木 陶光
・三日月の見守る「武蔵」最期かな
岡村 一道
・虎徹今静かに眠る冬日かな
芳村 翡翠
・乱舞する青のキャンバスゆりかもめ
峯岸 まこと
・多摩川の先に遠嶺都鳥
安西 円覚
・五線譜に不明な音符冬の蠅
片山 朝陽
・燃え尽きるとき女優にも紅葉にも
長岡 帰山
・ナホトカへ船出の港ゆりかもめ
中邑 雅子
・華やかに客船入港冬鷗
小林 美絵子
・呼びかけに返事をするか百合鷗
坂井 百合子
・佐賀錦織り散らしたる山もみじ
五井 夢
・都鳥黒波ラッシュに浮き沈み
浦田 久
・岩手富士抱きし白鳥乱舞かな
堀 秀堂
・高千穂の御神楽魅入る秋の宮
山下 天真
・百合鷗北の便りは穏やかに
村林 小枝子
・万両は僧侶の如く慎ましく
寺崎 由岐子
・からっ風りんごのようなほっぺの子
◆<蕪村の詩について> 俵木 陶光
与謝野蕪村は昨年生誕三百年の年であった(忌日は陰暦12月25日)。大阪から20才頃、江戸に移り俳句と絵画をしながら生活し茨城の結城に居を移し、東北にも旅をしている。その後京都、丹後の与謝にも住み、「与謝」と姓を名乗ってゆく。漂泊の人でもあった。
結城時代には多くの俳人達と連句で交友を広め早見晋我(北寿)とも深く交わっていた。彼の死の知らせを受けてこの40才以上も年上の友を悼む詩を作っている(一部割愛・蕪村30才)。この詩が世に知られるようになったのは、これより半世紀後、蕪村没後であった。
<北寿老仙をいたむ> 蕪村
君あしたに去ぬゆうべのこころ千々に
何ぞはるかなる
君をおもうて岡のべに行きつ遊ぶ
岡のべ何ぞかくかなしき
蒲公の黄に薺(なづな)のしろう咲きたる
見る人ぞなき
雉子(きぎす)のあるか ひたなきに鳴くを聞けば
友ありき河をへだてて住みにき
へげのけぶり(注1)のはと打(うち)ちれば西吹く風の
はげしくて小竹原(をざさはら)真(ま)すげはら
のがるべきかたぞなき
友ありき河をへだてて住みにき
今日はほろりとも鳴かぬ
君あしたに去ぬゆうべのこころ千々に
何ぞはるかなる
(注1)へげのけぶり=変り果てた煙
蕪村はまた画家としても高く評価され、池大雅の「十便図」とともに「十宣図」で、また「夜色楼台図」が国宝となっている。その外に六曲一隻の「奥の細道図」や「鳶鴉図」なども。
ここで蕪村の代表的な句を挙げてみたい。
・鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな
・夏河を越すうれしさよ手に草履
・月天心貧しき町を通りけり
・老が恋わすれんとすればしぐれかな
・春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな
・なの花や月は東に日は西に
・しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり
◆次回の定例句会は、1月21日(土)午後1時〜3時40分
於 高井戸地域区民センター
兼題は「雑煮・喰積(くいつみ)」当季雑詠で計3句です。
◆句会についてのお問い合わせ先: 安西 光昭(円覚)まで
TEL 090-3145-2654
◆文責・俳句同好会会長 俵木 敏光(陶光)
◆句会は原則として毎月第2土曜日の午後1時から3時40分まで、主として久我山会館・高井戸地域区民センター等で開催しております。(出席者は10名程度)一度ふらっと覗いてみて下さい。その上で、ぜひ仲間になって下さい。今回も新しい方の投句がありました。
句会が終わると駅前の蕎麦屋でちょこっとやったりもします。
◆毎回、その月の作品を紹介いたします。俵木陶光選。
・11月の作品の紹介
・11月の兼題は、「秋(後半)」・当季雑詠で計3句です。
俵木 陶光
・秋風やベンチの上の紙コップ
岡村 一道
・鴨供に白鳥ボート水戸の湖(うみ)
芳村 翡翠
・いつしかに忍びよる齢(とし)秋の暮れ
峯岸 まこと
・望の月さざ波煌めく近江の海
安西 円覚
・揺るる葉と共に揺るるや赤とんぼ
片山 朝陽
・神の留守大うそを一つついてみる
長岡 帰山
・秋刀魚焼く五臓六腑を煙らせて
中邑 雅子
・散策の終はりししるし草じらみ
小林 美絵子
・酒々(ささ)蔵の一本柱菊日和
坂井 百合子
・ひよどりの声吸い込みて空青し
五井 夢
・万葉(ばんよう)に白光照り映え秋駆ける
浦田 久
・秋冷や肩すぼめ見る温度計
堀 秀堂
・陸蒸気唱歌のリズム秋駆ける
関口 静安
・鮮やかや見渡す山と柿落葉
山下 天真
・一椀の茸に森のけはひかな
村林 小枝子
・秋深く部屋に戻せし鉢の列
寺崎 由岐子
・ながれゆく秋の夕暮あかね雲
◆<武蔵国分寺 吟行記> 安西 円覚
雲一つない良い天気の冬の吟行会は、10時30分、西国分寺駅からスタートし、20分ほど歩き先ず立ち寄ったのは国分寺薬師堂だった。武蔵国分寺の創建は天平勝宝2年(750年)頃と言われていますが、元弘3年(1333年)「分倍河原の戦い」で焼失した。
翌々年、新田義貞により薬師堂が再建され、安永4年(1775年)、現在の場所に建て替えられた。安置する薬師如来坐像は国の重要文化財である。
鵯(ひよどり)の鳴き交わしゐる薬師堂 陶光
仁王門は宝暦10年(1760年)頃の建立。仁王門には、何故かミツバチの巣が有り十匹以上飛びまわっていた。
仁王像冬みつばちと戯れり 百合子
蜜蜂にしたはれをりし仁王門 陶光
小六月何を睨むか阿吽象 円覚
冬日漏れ石段下る薬師堂 一道
武蔵国分寺跡資料館で、依頼していたボランティアのガイド2名と落ち合う。出土品や当時(750年頃)の人々の生活ぶりの解説を聞く。出土品の中に何種類かの瓦(重そうな)が幾つも展示されていた。漆も頻繁に使われていたようだ。
天平の香り漂ふ秋日かな 朝陽
国分寺崖線の下から流れ出た湧水を見ながら万葉植物園に入る。万葉集に歌われた160種の植物が例歌とともに展示されている。
湧水や落葉流せり武蔵国 天真
万葉園枯木枯草和歌詠みぬ 一道
そこより2〜3分で武蔵国分寺跡 金堂・七重塔跡に着く。741年、聖武天皇は鎮護国家を祈念して、諸国に国分寺を建立するように命じた。武蔵国分寺跡と関連する遺跡は、東西1.5km、南北1kmに及び、諸国の国分寺跡と比べ規模が大きく、歴史的にも重要なことから大正11年に国史跡に指定された。
七重塔鎮護台地の秋の草 秀堂
天平の礎石に座して小春かな 百合子
ガイドの丁寧な解説により、天平の国分寺跡がより現代に蘇ってくる錯覚に皆陥ったようでした。
けやき落葉天空に舞ふ国分寺 陶光
約2時間余りの散策の後、句会場の駅前の「いずみホール」へ戻り日暮れの5時まで句会を行った。その後、荻窪駅前の一軒に立寄り反省会となった。
◆次回の定例句会は、12月10日(土)午後1時〜3時40分
於 高井戸地域区民センター
兼題は「都鳥(百合鴎」・当季雑詠で計3句です。
◆句会についてのお問い合わせ先: 安西 光昭(円覚)まで
TEL 090-3145-2654
◆文責・俳句同好会会長 俵木 敏光(陶光)

◆句会は原則として毎月第2土曜日の午後1時から3時40分まで、主として久我山会館・高井戸地域区民センター等で開催しております。(出席者は10名程度)一度ふらっと覗いてみて下さい。その上で、ぜひ仲間になって下さい。今回も新しい方の投句がありました。
句会が終わると駅前の蕎麦屋でちょこっとやったりもします。
◆毎回、その月の作品を紹介いたします。俵木陶光選。
・10月の作品の紹介
・10月の兼題は、「秋の風」・当季雑詠で計3句です。
俵木 陶光
・誰もいない象のステージ秋の風
岡村 一道
・走り蕎麦老舗といへど音高く
芳村 翡翠
・男ゐて一人は無口秋の風
片山 朝陽
・秋風や阿修羅の瞳いよよ澄み
安西 円覚
・万葉を風が捲(めく) るや居待月
峯岸 まこと
・観音のゆびおとがひに秋の風
長岡 帰山
・思はざる山よりぬっと望の月
中邑 雅子
・秋立つや新規講座の通知来る
小林 美絵子
・秋風にふかっと含む薄茶かな
坂井 百合子
・模様替えしてみたくなる秋の風
五井 夢
・やせ烏濡れ羽青き吾秋の風
浦田 久
・棚田にも煙たなびく秋の風
堀 秀堂
・秋の風戦国時代の城巡り
関口 静安
・秋風に乗って飛べ飛べグライダー
山下 天真
・晴ればれと検査結果や秋の風
村林 小枝子
・還暦の空手一筋柿実る
寺崎 由岐子
・縁の下淋しくないかこおろぎよ
◆<私の一句>
雨を呼ぶ投込寺の濃紫陽花 俵木 陶光
新宿の靖国通りに面した所に成覚寺という古い寺がある。創建は文禄三年(1594年)で、まだ片田舎の寺に過ぎなかった。慶長八年(1603年)徳川の世になると江戸が天下の中心となり、住人も増えて来た。また江戸五街道の内、甲州街道の第一番目の宿場が下高井戸辺でかなり江戸の中心部より遠かった。また下級武士達が浅草、吉原に出かけて行くのも大変であったことに目をつけた浅草辺の商人達がこの辺に遊郭など建てたら一儲できると踏んで、幕府の上層部に大枚の賄賂を積み新しい宿場(内藤新宿)を設けることを実現させた。
それから遊郭や宿が建ちはじめ、遊女や非公認の飯(めし)盛女が増えて来た。身売されて来た彼女達の停年?は27才。酷使され、それ以前に亡くなると、着ている衣服も剥がされ筵(むしろ)などに包まれてこの成覚寺に担ぎ込まれて来た。長年に亘りその数2千人ともそれ以上とも。
この寺は道路から石段を下りた所に本堂や墓地があり、如何にも投込寺と言った感じだ。その一角に「子供合埋(ごうまい)碑」と彫られた墓碑が立っている。子供とは飯盛女のことで、雇主と親子の関係にさせられたのである。この石碑も明治に近くなってから建てることになった。
成覚寺の隣り正受院という寺があり、奪衣婆(だつえば)が祀ってある。三途の川を渡る者の衣服を剥ぎとる婆であるが、咳止めの霊力があるということから大ブレークした不思議な寺。
これらの寺の裏側に回ると大きな太宗寺があり内藤家の菩提寺となっている。新宿御苑は内藤家の下屋敷があった所で、明治になると新政府に帰属し、第二次世界大戦の空襲で建物などは焼失し、現在は大名庭苑として玉藻池といくつかの石灯籠だけがその面影を止めている。
紫陽花の雨を貰ひし玉藻池 陶光
◆次回は、吟行と定例句会を行います。
・吟 行: 11月12日(土)午前10時30分
JR西国分寺駅改札口 集合
<史跡武蔵国分寺跡を散策>
・定例句会:同日午後1時30分より午後5時頃まで
西国分寺駅南口前「いずみホール和室」にて
定例句会兼題は
「秋(後半期を中心に)」・当季雑詠で計3句
兼題は11月5日(土)までに郵送して下さい。(陶光宛)
◆句会についてのお問い合わせ先: 安西 光昭(円覚)まで
TEL 090-3145-2654
◆文責・俳句同好会会長 俵木 敏光(陶光)