活動報告 - 俳句同好会 (白木蓮俳句会) (R.1.8.10)  No.114

俳句同好会 (白木蓮俳句会) (R.1.8.10)  No.114

カテゴリ : 
俳句同好会
執筆 : 
m-anzai 2019-8-6 11:12

◆句会は原則として毎月第2土曜日の午後1時から3時40分まで、主として久我山会館・高井戸地域区民センター等で開催しております。(出席者は10名程度)一度ふらっと覗いてみて下さい。その上で、ぜひ仲間になって下さい。
句会が終わると駅前の蕎麦屋でちょこっとやったりもします。


◆毎回、その月の作品を紹介いたします。
    
・8月の作品の紹介

・8月の兼題は、「踊」・「当季雑詠」で3句です。
                出題:安西 円覚                
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・はじまらん踊の庭の人ゆきき       高浜 虚子
・踊るらめ女泣かせぬ世の来るまで     中村 草田男
・通り雨をどり通してはれにけり      松本 たかし
・割り込んで小さく踊り始めけり      藤井 紫影
・をみならにいまの時過ぐ盆踊       森  澄雄

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俵木 陶光

・風に乗り今宵も踊の遠太鼓


岡村 一道

・熱帯魚踊る深夜のタカラヅカ


芳村 翡翠

・海暮れて海峡の町盆踊り


長岡 帰山

・踊る子の輪をはなれきて帯直す


安西 円覚

・県知事のからまる足や阿波踊


片山 朝陽

・両の手を翳して盆の月掬ふ


堀 秀堂

・母娘振りをそろえて踊る盆


浦田 久

・墨田川夜空を切り裂く花火かな


小林 美絵子

・踊りゆくその鈴下さい跳ね人よ


中邑 雅子

・踊り手の眼尻の紅のにじみたる

 
坂井 百合子

・踊り来る笠美人連足袋白し


五井 夢

・舞い踊りミミズはミイラ朝日が昇ぼる


荻須 節子

・たくましき踊り櫓の撥捌き


菊池 幸

・ひぐらしや湖底に眠る故郷あり


山路 久美子

・道玄坂外
(と)つ国人(くにびと)の盆踊り

村林 小枝子

・雨上り朝顔の鉢門々に


吉野 かおる

・エイサーや首里の都は風吹くる



◆私の一句   
  夏草や怒涛うけとむ城ケ島
 俵木 陶光


     「城ケ島の雨」   北原白秋
   雨はふるふる城ケ島の磯に
   利久鼠の雨がふる
   雨は真珠か夜明の霧か
   それともわたしの忍び泣き
   ・・・・・・・・

 北原白秋は福岡県柳川から文学に目覚め上京し文壇での地位を固めつつあった。25歳の時、原宿に転居し隣家の人妻に情を通じ、姦通罪で告訴拘留された。翌年、離婚された彼女と正式に結婚し、都会の喧騒から逃れ、神奈川県の三浦市に移り住んだ。そこで生まれたのが「城ケ島の雨」であった。その後、色々あって彼女とは別れ新たに結婚、離婚をくり返し三度目の正直で終止符を打ち1男1女を儲けている。
 
 城ケ島には3回行っている。
。械看前の昭和60年2月3日(日)節分の日。当時は大学、教務課の事務職員として在学生の進級、留年編入学などの処理、2学部2学科入学試験の受付、準備、泊り込みでの対応など夜間部の書類選考の繁忙期、私的には俳句会二つ、同人雑誌の会合、その他諸々。そんな時、最初は横浜の港あたりをぶらついて英気を養うつもりだった。それがつい横浜で降りそびれ終点の三崎口から更にバスに乗り継ぎ城ケ島まで行ってしまった。
 城ケ島の大きさは、比べてみるとざっと横が荻窪駅から西荻窪駅まで、縦が阿佐ヶ谷駅から区役所までと言った感じである。
島の東は県立の公園ということで遠く大島まで望むことが出来る。句碑もあった。
 ・火の島へ一帆目指す草の露  角川源義
 海岸へ出ると白浪が岩礁に当たって、その度に餌を探していた鵜が飛び上がっていた。断崖の岩場には沢山の海鵜がいて営巣地ともなってをり、その展望台もあった。海岸までの細道があったので坂道を下りそのあたりを散策し途中まで戻って振り返ってみると十数匹の野犬が歩いていた。もし誰もいない海岸でこれらと遭遇していたらどうなっていただろう。
      ・白涛の打って鵜の散る春の礁   陶光
      ・遅れ鵜も辿り着きたる日永かな
      ・城ケ島水平線を春の綺羅
そこからハイキングコースの海の道に出、食事をとった。。焼いてもらった魳(かます)が旨かった。近くには立派な旅館もあった。きょうは出たとこ勝負の一人旅であったが楽しい一日となった。これで4月新学期の授業が軌道に乗るまでの英気が養えたと思った。

∩芦鵑ら14年後の平成11年10月23日(土)。同人雑誌「どんぐり」の秋のハイキングを計画し、品川駅9時10分 参加者5名
三崎口からのバスの便が悪く、城ケ島大橋の手前までのバスとなってしまった。しかし、これが幸して風に吹かれながら長さ600m高さもある橋をのんびり渡った。車も殆ど通らず右手には遠く房総半島が望まれた。白秋記念館にも立ち寄りいよいよ島巡りが始まった。岩などを掴まりながら頼朝伝説の井戸跡(水っ垂れ)へ出、鬼の洗濯板を渡ると急に視界が開け、磯辺の松も一幅の絵のようであった。砂がピンク色した所もあってよく見ると桜貝などが細かく砕けたものであった。
角川源義の他にも二つほど句碑、歌碑があった。

  ・松虫にささでねるとや城ケ島   松本たかし

  ・先生のうたひたまへる通りやの  宮 柊二
   さざなみひかる雲母のごとく
 
 海鵜の展望台から南の海岸へ出ると馬の背洞門があり、大きく岩がえぐれていて向う側の海も窓越しに見るようでいい景色を作っていた。遅い昼食をとり帰途についた。大きな富士山が見え東京に入る頃はひと月遅れの十五夜の月が低くビルの間を漂っていた。

 前回より11年後のH22年3月17日(水)「すぎなみ学びの楽園」主催の「城ケ島・三崎自然文化探索会」に申し込み、当日8時20分品川駅に集合した。そこで偶然、長岡帰山さん御夫妻たちと出会った。終始行動を共にしたわけではなかったが。今回は3回目だったせいか全体に印象が薄かった。後日帰山さんの写真や記憶をつなげてみたい。とりあえずその時の俳句だけを若干並べてみた。

・どんよりと三浦海岸花曇り   陶光
・菜の花や潮香まじりし磯の道
・対岸の通り矢のはな霞みをり
・春の鳶手の届くかに風に舞ふ
・春霞更に大島遠ざかる

その後、白秋は作詞、作歌活動を重ね晩年には、多摩短歌会なども立ち上げていた。50歳を越すと糖尿病などにもかかり、また転居も多かった。最後は杉並区阿佐ヶ谷北5丁目1番地に住んでいた。1942年(昭和17年)11月2日自宅で逝去、多磨墓地に永眠している。

 童謡も数多くつくられているが思い出に10題程並べて見た。
1.雨(雨が降ります・・・遊びにゆきたし傘はなし
2.赤い鳥 小鳥(なぜなぜ赤い赤い実をたべた
3.揺籠のうた(・・・をカナリヤが歌うよ
4.五十音(水馬(あめんぼ)赤いなアイウエオ
5.砂山(海は荒海向うは佐渡よ
6.からたちの花(・・・が咲いたよ、白い白い花が咲いたよ
7.ペチカ(雪のふる夜はたのしいペチカ
8.待ちぼうけ(・・・ある日せっせと野良かせぎ
9.この道(・・・はいつか来た道、ああそうだよ
10.アメフリ(アメアメフレフレ、カアサンガ




  

◆次回の定例句会は、9月14日(土)13時〜15時40分
                於 高井戸地域区民センター 
  兼題は、「団栗」・「当季雑詠」の3句提出
                               
◆句会についてのお問い合わせ先: 安西 光昭(円覚)まで
                 TEL 090-3145-2654

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